女性競輪選手が集まる!ガールズ競輪の魅力と特徴
ガールズケイリン

ガールズケイリンは2012年7月より正式スタートした女性競輪選手のみで行われるレースの総称です。
2019年9月17日現在(116期生まで)137名の女性競輪選手が登録され、全国43の競輪場のうち小田原と小松島を除く41場で定期的にガールズケイリンが開催されています。
競馬(騎手)、競艇、オートレースでも女性選手が活躍していて、一部では女性選手のみのレースが行われていますが、男女の体力差が大きい競輪では完全に男女独立したレースになっているのが特徴です。
ガールズ競輪の発祥と成功した要因
「ガールズケイリン」のブランドとして、車券発売が行われるレースが始まったのは2012年からですが、過去にも何度か女性選手による競輪が開催されてきました。
女性選手による競輪の歴史を時系列にまとめました。
1948年 公営競技としての競輪が誕生
1949年 女子競輪誕生
1964年 人気低迷により女子競輪廃止
1980年代 この頃から何度も女子競輪の復活が議論される
2008年 アマチュア選手によるエキシビジョンレースとして復活(車券販売なし)
2010年 復活決定
2011年 日本競輪学校(102期生)より女性選手の受入開始
2012年 ガールズケイリンとして48年ぶりに復活
競輪が始まって間もないころは女子競輪の人気は低く、廃止になってからも競輪の黒歴史として扱われてきました。
1980年代から競輪人気の復活に向けて女子競輪の復活が度々議論されてきましたが、過去に一度失敗した経緯から反対する意見も多く、長年実現には至りませんでした。
ガールズ競輪の転機
転機になったのは元NHKアナウンサーの下重暁子さんが2005年に日本自転車振興会会長へ就任したことです。
女性で女子競輪復活に意欲を見せる下重さんが会長に就任したことで、計画が一気に進み2008年に全国から有望な女性自転車競技選手を集めたエキシビジョンレースが開催されました。
アマチュア選手によるレースのため、車券発売をすることはできませんでしたが、競輪場でレースや選手達の雄姿を見た観客からの評判が良かったことでガールズケイリンの復活に向けてトントン拍子で話が進んでいきました。
現代の女性競輪選手は容姿端麗な方も多く、インターネットを通じて顔写真を公開するなど華やかな魅力を前面に出し、かつての失敗を忘れさせるほどの人気を誇っています。
また、エキシビジョンレースとして復活した2008年は現在の自転車競技およびロードレーサーブームの火付け役になった弱虫ペダルが連載を開始した年でもあります。

2012年には既に自転車ブームが起こっていたことから、自転車競技・ロードバイク・競輪を始めたばかりの初心者からガールズケイリンが親しみやすい存在として受け入れられたのでしょう。
ほかにも7車立てでライン禁止など男性選手とは異なるルールやネット投票の普及なども、ガールズケイリン人気の追い風になりました。
ガールズケイリンとして正式復活するまでに48年の歳月がかかりましたが、2008年にエキシビジョン・2012年に正式復活したタイミングだからこそ大成功を遂げたのかもしれません。
ガールズケイリンのルールと魅力
ガールズケイリンは通常の競輪(男子選手)と以下の違いがあります。
※2014年より男子選手もガールズケイリンと共通ルールの「KEIRIN EVOLUTION」を実施
- 原則7車立て
- ラインを組むのが禁止
- レースの距離は1,500~1,666m
- 内外線幅の約2倍以上の押圧・押し上げ
- 先頭誘導員のタイミング等を変更
ガールズケイリンはラインを組むのが禁止になり、7車立てになることから力のある選手が勝てる確率が高まります。
通常の競輪は1番人気の勝率が約30%程度なのに対してガールズケイリンでは約65%となっています。これは公営競技でもっとも出走数が少なくて内枠の有利が顕著に表れる競艇の1コース(約勝率50%)より高い勝率です。
本命が手堅い一方でラインを組むのが禁止となっているため、展開や位置取り次第でどの選手にも上位に入るチャンスがあり、3連単(3車単)の平均配当は約1万円(オッズ100倍)になるため、コツコツ派から一撃派の方まで楽しみやすいスペックになっています。