現在は改善?競輪の来場客によって起きた暴動・事件簿

競輪に関連した暴動・事件をまとめました。逮捕者250名・催涙弾による制圧などが行われた鳴門事件のような大暴動もありましたが、2017年のオールスター競輪で行われた板めくり忘れ事件で暴動に発展しなかったのは、時代と客層が変わった証拠です。

暴動・事件

暴動が起きた場所に向かう機動隊と警察官

競輪は来場客のマナーが悪いと指摘されることが過去に多くありました。実際にヤジや暴言、来場客同時のトラブルが現在も少なからず存在します。
時代の変化や運営の取り組みなどで競輪場の治安は改善され、態度の悪い常連客の比率は減少していますが、過去には暴動や事件が起こった事例があります。

競輪に関連した過去の暴動・事件についてまとめたので、競輪の黒歴史を知りたい方はチェックしてみてください。

鳴尾事件

1950年9月9日に鳴尾競輪場(その後の甲子園競輪場)にて、競輪場が台風で被災した中で復興支援競走として強行開催した日に事件が起こりました。
11Rで本命選手がレース中にマシントラブルによってレースのやり直しを求めたのですが、レースは続行されて本命選手が負けたため万車券が出る波乱のレースになりました。すると納得いかないファンが騒ぎだしたのです。

運営は選手の整備不良による責任だと発表し、該当選手を1ヶ月の出場停止処分にして11Rは確定。12Rの発売を行うアナウンスをすると、観客のボルテージはエスカレート。
金網を登って走路内に進入するファンも現れたため、沈静化を図るために12Rの中止と12Rで販売した車券の買い戻しをアナウンスしますが、一部の観客の興奮は収まりません。
そして、待機中の消防車をひっくり返したり、放火・投石、金庫の強奪未遂まで起こる事態に発展しました。

当時は戦後間もない時期だったこともあり、沈静化を図るために600名の警察隊やアメリカ陸軍が催涙弾などを使用して制圧し、250名の逮捕者を出した公営ギャンブル史上最悪の事件として知られています。

松戸事件

1959年の松戸競輪場5Rにて八百長疑惑が発生。一部の客が騒ぎだします。
ここまでは当時の競輪ではよくあることだったのですが、騒いだ一部の客に対して主催者が払い戻しと車代と称した1,000円を渡していたことが発覚します。

当然、何も受け取っていない他の観客が騒ぎ出して大きな暴動へ発展する事件へ発展しました。
松戸競輪場は事件を受けて3ヶ月の営業停止や当面の間は土日祝の午後4時間のみの開催へ自粛するなど、運営団体より厳しい処分を受けました。

立川競輪場誤打鐘

2000年2月11日に開催されたアシアナカップA級決勝にて、本来は残り1周半で慣らす打鐘を間違えて残り2周半で一度だけ鳴らしてしまいます。
本来は何度も打鐘を鳴らす所を1回鳴らした時点で過ちに気付いてやめたので、間違った打鐘による影響はなく、粛々とレースが進められますが、一部の観客は納得をしていません。

立川競輪誤打鐘事件のレース風景

さらにゴール後に優勝した選手を含め3人が接触して落車したことから観客はさらに興奮します。
破壊や審判室に乗り込む暴動にはならなかったですが、2000年に起こった事件だったため、お粗末なレースの模様や表彰式でのヤジが動画に残っています。

第60回オールスター競輪・板めくり忘れ事件

2017年7月15日にいわき平競輪場で行われた第60回オールスター競輪の最終日6Rにて、周回通告員の周回板めくり忘れの事件が発生し、レースは不成立になり約2億円の車券が買い戻しされました。

雨の中で行われたレースで選手がスリップして転倒。周回通告員が選手の救護活動を行っていたため、周回板をめくれなかったとされています。
正しく残り周回が通知されなかった時点でレース不成立が決定されるのですが、その後も打鐘が鳴らされて選手は全力疾走でゴールを駆け抜けました。

観客から見れば選手は全力のレースをして勝敗が決まっていた状況なので、的中した人は買い戻しになる車券を握りしめて呆然。
昭和の時代であれば暴動になっていたであろう運営の落ち度が大きいトラブルでしたが、会場がザワついて後に新聞で報じられる程度の騒ぎにしかならず、その後の決勝レースまで滞りなく開催されました。

板めくり忘れ事件を見る限り、大きなトラブルが起こっても現代の競輪で複数の逮捕者が出る大暴動に発展することはなさそうです。